kunのパソコン遍歴(Mac ProからDOS/V機へ)

kunはこれまでずっとMacintoshを使っていました。。
kunのMacintosh遍歴

PCゲームがきっかけ

2018年夏、gishicoがよくやるゲームが、パソコンからもネット対戦参加ができることを知った。
iMacにインストールしてみたところグラフィックボードの性能が足りないのでプレイできないとのメッセージが出た。調べてみるとiMac2011では、どうにもならないのが判った。普通にAdobe系のDTPも問題なく使えていたけれど、、おもしろそうだしゲームもやってみたい。。。

さらに調べてみるとMac Proならグラフィックボードを積めばなんとかなりそうだった。そしてちょうどこの頃、VMWare ESXiに出会った。サーバ的なパソコン買ってもサーバとして使えばまあいいかな、と物色しはじめた。

その1《Mac Pro (Mid 2012)》

2018年秋。ヤフオクで「Mac Pro Mid 2012」が出品されていた! 加えてメモリ,グラボ,SSD,HDD、、それからフルHDディスプレイやらを手配した。ハードウェアは次の通り。

  • CPU:2.4GHz 6コアIntel Xeon E5645プロセッサ×2基!(計12コア24スレッド)
  • GPU:ZOTAC GTX 1060 MINI Specs(GeForce GTX 1060 6G)中古
       - サブ:Radeon RX470 ARMOR 8G OC(ヤフオクで入手)
  • RAM:8GB×4
  • SSD:512GB, 256GB,HDD:2TB

ソフトウェアはこんな感じ(ハイパーバイザOS:VMWare vSphere ESXi 6.5)

  • Windows 7 Home x64(VMWare Fusionから移設;GTX 1060のパススルーでデスクトップ使用;ゲーム用)
  • MacOS Mojave(普段使いのいわゆるMac;Win7上のVMRCから使用)
  • CentOs6(あると便利なローカルwebサーバやら、ファイル共有サーバとして)
グラボで苦労した…

ESXiサーバは前から気になっていたけど初めて触った。初めてといえばグラフィックボードもこれまで気にしたことなかったので、「GTX?」「NVIDIA?」「じゃあRadeonってのはなに?」、と周りのWindows系パソコンに詳しそうな人に聞きまくった。Google先生にもたくさん聞いて、ようやくグラボを決めた。vShpereでのグラボのパススルーと合わせて自作派の大変さを知った(ハードと設定の組み合わせに手間がかかること、かかること)。またMacPROは電気を食う。電気代が急に上がった。

同じ頃、会社のファイルサーバを更改することになった。ファイルサーバそのものはWindows Serverだけど、他にもLinuxサーバも立てておきたかったので、ベアメタルはDOS/Vというか、いわゆる「IAサーバ」機として、ESXiで行くことにした。このころには自宅MacPROでのESXiのノウハウもたまっていて、インストールから運用まで、MacPROでの経験をそのまま流用して、利便性やら可用性を上げることができた。


ベトナムでUbuntuに出会う

2019年夏。このころMacを日常的に使わなくなってきていた。お仕事はVB.NetやPythonがメインで、全部Windowsで作業していた。なんとなくMacを使う機会が減ってきていた。
そんな時お仕事でベトナムに出張することになった。現地の作業は楽しいものだった。自前のものだけど、30台くらいのLinux EdgeとWinサーバのIoTシステムを仕込んできた。手伝ってくれた現地のアルバイト学生も頭のいい奴ですこぶる捗った。ある日、作業している中で、ちょっとパソコンの処理待ちになったときの会話の中から「Ubuntu使ってみるべき」と勧められた。。。ほー、Ubuntu。。

…帰国してからすぐ、UbuntuをESXiに載せて使い始めてみた!

そしたら、なかなかの好感触。おりしも会社でAndroid開発をすることに決めたことから「IntelliJ IDEA」を普段使いのWindows10機に加えてESXi上のUbuntuでも試してみた。これまたいい感じ。一番は見た目の好みの問題かな。じっと長い間、見ている画面なのでよい雰囲気のほうがいい(Windows10の文字の「にじみ」がどうにも… これからずっとこうなの?)。

しかも当たり前なんだろうけど、Linux機といろいろやるのに便利なこと。こちらも大幅に仕事が捗った。そりゃもう10倍くらい。ベトナムの彼は多分これを伝えたかったのだな。

MacOS環境の危機

ふと気づくとデスクトップはWindows7ゲストとUbuntuゲストで事足りるようになってきた。MacOSゲストはほぼ「iCloudクライアント専用機」になっている。。ベアメタルは図体が大きくて電気食いのMacPROでなくてもいいのか。。。 そもそもOSはESXiになっちゃっているし、いよいよベアメタルをMacからDOS/Vにしたほうがいいかな?と思い始める。ESXiのゲストOSイメージを移動すればまったく同じ環境で再開できるから移行に抵抗はないなと考えた。でも、ただ単にDOS/V機にしてしまうと、ライセンスの問題でMacOSが使えなくなってしまう。

いろいろ悩んだ末、メインのベアメタルはDOS/V機でESXi、MacOS環境はなにか適当なMacintoshを別に用意することにした。ちょうどいいタイミングで「Mac Mini 2012」をヤフオクで手に入れた。安かった! 

そうそう、このMac Miniはメモリの増設やHDDの載せ変えができる(最後のモデルらしい)。RAM16GB,SSD512GBに換装したらMojaveがサクサク。とはいえOSのアップはここまでにしておこう。あと、、MacMiniにはディスプレイないけどどうする?

そして続いて初の「自作パソコン」に着手。

その2《自作1号機》

MacPROをいろいろいじっていて、グラボの調達あたりから「自作PC」に興味が湧いてきた。いろいろ調べ始めてみることにした。必要な性能のものを自分で作れそうな感じだし。。。

ところで「自作」というけど、結局市販の専用ケースに市販の電源キット,マザーボード,CPU,メモリ,ストレージなどを組み付けるだけだ、というのを初めて知った。なにか自分で作ることはしないので簡単。ただその部品選びに知識がいるけど、そこはgoogle先生が詳しいので大丈夫。一般的な構成をお聞きして、無難な部品をチョイスした。

Mac PRO資産が役に立った

グラボはMacPROに使っていたもので充分なのは判っていたのでそのまま流用した。自作1号機が完成したらMac PROとiMacは売りに出すことにした。

そして組みあがったハードは次のとおり。全部で6万円ほど。売却したMac2台のお金で、MacMiniの中古(2万円ほど)と両方まかなえた。グラボやディスク関連は残しておいたものを流用した。

  • ATX対応ミドルタワーPCケース
  • ASRock AMD B450チップ搭載 Micro ATX マザーボード B450M Pro4
  • CPU:AMD CPU Ryzen 5 2600(6コア12スレッド  Base 3.2GHz/Turbo 3.6GHz)
  • GPU:ZOTAC GTX 1060 MINI Specs(GeForce GTX 1060 6G);MacPROから流用
  • RAM:8GB×4
  • SSD:M.2 PCIEx4 256GB 加えてMacPROのSSD:512GB,HDD:2TBを流用
  • ATX電源:KRPW-N600W/85+
  • ディスプレイ,キーボード,マウス,スピーカもMacPROから流用

ソフトウェアはこんな感じ(ハイパーバイザOS:VMWare vSphere ESXi 6.5)。

  • Windows7 Home x64(GTX1060をドライブパススルーしてデスクトップで使用;ゲーム用)
  • Ubuntu 18.04(開発用;IntelliJ IDEA;Win7上のVMRCから使用)
  • CentOs6(あると便利なローカルwebサーバ,ファイル共有NASサーバ)

※Ryzen PCに直接Windows7はインストールできない、がESXi上ではインストール、動作が可能です。

自作をやってみて

組み立てには、特別必要なスキルはあまりない。スクリュードライバでねじを外したり留めたり、コネクタに配線を差し込むのに抵抗がなければいける。あとはケースの中できれいに配線するセンスかな。
kunはMacPROでの経験がとても役に立った。ハード/ソフト共に知っているMac環境でワンステップ上げといて、完全なDOS/Vに移ったのがよかった。

あとディスプレイがなかったMac mini。でもMacOSには標準のVNCサーバ(画面共有)があるので、1号機から遠隔操作することにした。少々面倒くさいので、いずれディスプレイ切替器でも導入しましょう。


もう1台自作しよう

2020年新春。しばらくこの環境で使っていたけど、このころ会社のIntelliJ IDEAが遅いのが気になってきた。パソコンは2019年の夏、ベトナムへ出張する前に買ってもらったHPノートだ。Corei5-7200U(2.5GHz)/RAM 16GB/M.2 SSD 256GB/HDD 1TBでwindows10を動かしている。たぶん社内では最新で最高スペックのパソコン。ただ、いかんせんIntelliJ+Androidエミュレータには厳しい。コンパイルやGradleのSyncに分単位の時間がかかったりする。

その3《自作2号機》-now

そこで少々処理能力が高いヤツを1号機と似たような構成でもう一つ作ることにした。
ハードはつぎのとおり。基本CPUの強化だけ。。

  • ATX対応ミドルタワーPCケース(1号機より少し小ぶり)
  • ASRock AMD B450チップ搭載 Micro ATX マザーボード B450M Pro4
  • CPU:AMD CPU Ryzen 7 2700(8コア16スレッド  Base 3.2GHz/Turbo 4.1GHz)
  • GPU:Radeon RX470 ARMOR 8G OC;MacPROの時にサブで用意しておいたもの
  • RAM:8GB×4(うち、×2は1号機から移設)
  • SSD:M.2 PCIEx4 120GB 加えて1号機からSSD:512GB,HDD:2TBを移設
  • ATX電源:KRPW-N600W/85+
  • ディスプレイなし,スピーカなし
  • 操作はもとからあるWindows 10端末(1号機)からVMRCで行う

ソフトウェアはこんな感じ(ハイパーバイザOS:VMWare vSphere ESXi 6.5)。

  • Windows 7 Home x64(Win 7テスト環境;1号機から移設)
  • Ubuntu 18.04(開発用;IntelliJ IDEA;1号機から移設)
  • Cent OS 7(メールサーバと、Slack中継サーバとか)

これで会社の開発環境も快適。たのしくお仕事ができます。

そして1号機は…

ところで1号機はESXiサーバをやめてスタンドアロンのゲーム専用機にしてしまった。ただそうなるとWindows 7が動かないので、Windows 10 Homeを新たに購入した(価格は1号機全体の20%、これが一番高いと感じた)。あと一応VMWare Player上でUbuntu18.04を動かしてはいるが使ってない。

その4 ワークステーションにしたら《Dell Precision 7810》

(2021/01)

本格的に開発機として使い始めたら、一緒にLinuxもいくつか動かしたくなってきた。IPアドレスを節約したくて、NATとDHCPをやってくれるルータを立てて、他のゲストはvSwitch介してその下に置いてやったり。。
そうなるとCPUのコアとメモリが足りない。今度は自分で組み立てるのはやめて、メーカーのワークステーションにすることにした。やっぱり冷却やマザーボード、コネクタ類の信頼性とか考えるとそうしたほうが良さそうだ。

そこで中古を探して、、以前のMacPROと動作クロックが同じ2.4GHzのXeon E5-2620 v3 (6Core)が2個(ESXi から見ると全部で24コア使えるように見える)、メモリはなんと64GB!の中古が6万円台とお安くでていたので購入。たぶん新品購入時の1/10よりお安い。

ハードのあらましは大体つぎの感じ。

  • DELL Precision Tower T7810
  • CPU:Intel Xeon E5-2620 v3 6Core 2.40GHz x2CPU
  • GPU:NVIDIA Quadro K600
  • RAM:64GB
  • SSD:M.2 PCIEx4 1TB,HDD:2TB(両方とも2号機から移設)

ソフトは、OSをPrecision用ドライバの含まれたESXi 6.7にアップグレードした。ゲストはもう2号機のストレージを持ってきて繋いだだけ。そうそうPrecisionにWindows10 Proのライセンスがついてきたので、Win7HomeからWindows10 Proにアップグレードしてやった。これからはWinの開発のメイン機になるかな。。折しもデカいWin10アプリ開発が本格化してくるのでありがたい。あとグラボがQuadroだったので、ドライブパススルーはなにもいじらなくて簡単にできた。。

クロックは2.4GHzと以前のMacPRO 2012と同じだけど、バスやメモリの速度が上がったせいか、全体的に効率良く動いてくれる。開発や環境構築の作業も楽しくて(これ大事)捗る。

1号機はそしてまた…

2号機の機能はすべてPrecisionに移してしまった。2号機にはせっかくのRyzen7に1号機のメモリやグラボ、ディスクを移植して、Ryzen7+GTX 1060のステキなゲーミングマシンに仕立ててやった。結局1号機は余ってしまったので売りに出すことにした。

その5 ラックマウントサーバに《Fujitsu PRIMERGY RX2540》-now

(2022/10)

Kotlinのコンパイルがどんどん重くなって行く。。。アプリが大きくなってきたからか。寄る年波でさっきやろうとしていたことをすぐに忘れてしまうから、コンパイル速度は重要だ。

でもワークステーションでステップアップするには少々経済的に厳しい。探してみたらラックマウントだったら速くて安いのが中古で出てる。

課題は床面積を大きく消費する事、ファンの騒音がバカにならない事か。。

あとはグラボ? PrecisionのQuadroでの画面のドライブパススルーは便利だったけど、さほど重要じゃなくなってきている。もう、なにかディスプレイにコンソールが映せるだけの最小限のグラボがあればいい。
そもそもワークステーションが高価なのは、3D-CAD/CAMなんか向けに高価なグラボ「Quadro」が標準装備、ってことだったりする。

よし次はラックマウントにしよう! 置き場の算段しながら、その床を占める面積とファンの騒音の対策(問題にならない場所へ置く、という対策)も行った。

ハードはこんな感じ。CPUは例によって6コア×2CPUで24コアとして使える。
これでも先の中古Precision7810とほとんど変わらない価格で手に入れることができた。半導体不足の昨今に、新品時の1/20、、いや1/30とかじゃない?!

  • 富士通 PRIMERGY RX2540 M2
  • CPU:Xeon E5-2643 v4 6Core 3.4GHz x2CPU
  • GPU:ボードマウント(VGA)
  • RAM:64GB128GB
  • ストレージ:SSD:M.2 PCIEx4 1TB(Precisionから移設),HDD:1TB×4(SAS-RAID0)
  • 電源:冗長電源(2個)

ソフトはOSにESXiの富士通ドライバ込みのを入れて、あとはPrecisionのストレージからゲストイメージを移動した。

SASのHDDが速い。速度と容量優先でRAID0にしちゃった(購入時はRAID6だったけど)からかもだけど。SATA-SSDに引けを取らないどころか少し速いかも。4台のHDDのうちどれかがイカれたら、全部引きずられてダメになるけど、お高いHDDのRAID0はさすがだ。

ファンの騒音も思ったより小さい(BIOSを最新のものにしたらより静かになった)。
あと、使わないけどLANポートと、光ポートが増設されていた。また電源が冗長化されているのでちゃんと有効に使ってやろうと思う。

Mac PROの改造、自作PCから始まったけど、いつのまにか「藁しべ長者」的にラックマウントを導入してしまいました。

Precisionはまた頃合いを見計らって売りにだすことにした。

ちなみに…

今でもマイベストMacintosh《MacBook Air 11-inch, Mid 2011》は現役。El Capitanのままなのでサクサク動いています(2023年5月)。

end…

Timeline

1980
6月

TK-80を初めて見た

NECのワンボードマイコン『TK-80』。学校の課内クラブで1年後輩のH君が、インベーダゲームを入力して遊んでいた。インベーダゲームといっても、数字を合わせてエンター押すヤツ。後にカシオの電卓に標準装備された「あの」ゲーム。

1981
10月

FUJITSU MICRO-8を見た

高校の学園祭で、部活の同級生がフル装備(「磁気バブルメモリ」の替わりに熱暴走対策の自作ファン付き)のFM-8を持ってきた。アラレちゃんの大きなアスキーアート(今で言う)をプリントして、セロテープで繋げて、教室の壁に飾っていた。

12月

ポケコンPC-1251を購入

どうやって工面したかは忘れたけど、ポケコンを買った。親に買ってもらったのかもしれない。
まずはユーザーズマニュアル首ったけで寝る間も惜しんでいじりまくった。マニュアルの最後に載っていたサンプルプログラムを打ち込んで、「Syntax Error」「Illegal Function Error」と戦った!
当時出ていた、書籍のプログラム集をすぐに購入。トランプゲームのポーカーを打ち込んで、利用者と対話するプログラムのイロハを学んだ。

1982
12月

弟がMZ-2000を購入

ほとんど弟に「買わせた」SHARP MZ-2000。CPUは「Z80」、全自動カセットテープ・ストレージ、10inグリーンディスプレイ内蔵。
同梱のユーザーズガイドを読み漁り、いろいろBASICでプログラムを作ってみた。画面に歌詞を表示するプログラムを作って、カルチャークラブの「カーマは気まぐれ」を表示させた。おかげで今でも普通にカラオケで歌える。

1984
10月

ポケコンでマシン語

誕生日に弟からポケコンPC-1251の「マシン語入門」という本をもらった。これでポケコンの世界が一変した。10倍以上の処理速度で動く!BASICとは全く違うプリミティブな世界。これが本当のコンピュータの世界。でもあまりに面倒で自分で大きなマシン語プログラムをイチから作るのはあきらめた。。

1985
8月

FM-NEW 7を手に入れた

夏休みに左官のお手伝いのバイトをして、FM-NEW 7を手に入れた。最初は本体、カラーディスプレイ、カセットテープレコーダだけ。MZ-2000とは違って、電源をいれればスグにF-BASICが起動したのが新鮮だった。
続いて春休みにバイトをして、エプソンのインパクトプリンタや、5in 2Dフロッピーディスクドライブを入手。主に大学の実験データの集計や加工に使っていたかな。
なぜかプリンタで英語を出すのにはまって、きれいにページングしてくれるワープロ的なプログラムを作って、友人と英語の教科書を打ち込んでは印刷していた。

10月

言語処理系にはまる

F-BASICの限界に触れ、他の言語に興味をもった。当時雑誌にFM-7で動作する言語がけっこう掲載された。当時よくあった16進をひたすら30KBとか打ち込むスタイル。FORTRAN-77,FORTH,6809アセンブラ。FORTHは刺激的だった。

1986
8月

MB-S1/45入手

当時「究極の8Bitマシン」と言われた日立のMB-S1/45を入手した。今回は以前お世話になった左官屋さんの防水のお仕事で得られたお金をつぎ込んだ。なんと1MB(2HD)のフロッピードライブ×2内蔵。冬のバイトで「DMAセット」+「OS-9 Level2」を購入。プリンタも大きいインパクトを追加。OS-9上で動作するコンパイラ「Modura-2/09」やツール集も入れて、もう全部で60万円くらい。OS-9のデバイスドライバにはアセンブラでチャレンジ。S1の素のアドレス空間で動く「FORTH」もFM-7から移植した。

1987
4月

大学の研究室で富士通どっぷり

研究室に入ったら、「FM-8」「FM-7」「FM-77」「FM-11AD2+」「FM-16β」が全部そろっていた。途中から「FMR-50HD」が追加された。大学のメインフレームが富士通なのも大きく関係していたと思う。さらにそれぞれ自分のPCを持ち込んだので「PC-9801VM」そしてkunの「MB-S1」も。

11月

卒業研究でModula-2に心酔

卒業研究で、行列計算プログラムを自動生成するプリコンパイラを作った。OS-9上のModula-2/09で、Modula-2のソースを吐き出す。そのままパイプラインでロードモジュールとデータ読み込みから出力まで自動で行うシェルスクリプトの生成までこなす。
研究室にあったFM-11 AD2+がまたすごかった。ほぼ同じスペックなのにMB-S1よりずっと安定して速かった。プロ仕様といった感じだった。S1と11AD2+のおかげで、今の礎となる様々なことを勉強できた。

1989
4月

就職してSEになった

会社に入ったら、パソコンは16bit-CPU 40MB HDD内蔵、高解像度(640×400px)を新人でも使わせてもらえた。FMR-60とかFMR-70だ。ここで初めてC言語を学んだ。ポインタとかは新鮮だった。たまの「Null Pointer Assingnment」(いわゆるヌルポ)も体験できた。

1990
7月

Macintoshに初めて触れた

Macintoshに初めて触れた

『Macintosh SE/30』給料つぎ込んで買ってしまった。70万円超。でもこんな世界があるなんて!「Hyper Card」はkunのコンピュータの価値観を全く違うものに塗り替えてしまった。Macintosh全体に浸透している設計ルールや考え方に、アメリカ人のすごさを感じた。ちゃんとルールが作ってあることに感心した。今では当たり前の「WISWIG」もここで経験できたのは大きい。この設計ルールやWISWIGに代表される、ありのままコンピュータの世界に利用者を引き込むファンタジーを造り込む手法は今でも指針のひとつになっている。

1991
9月

CASEツールの講習会に参加

当時注目されていたCASEツールの講習会があったので参加した。ここで偶然あの「青木淳」さんのプレゼンをお聞きする機会があった。一般的なCASEツールの話より、smalltalkでの実践が大変興味深かった。比喩の話で「のろまな亀」「ちえみは亀」の話もここで初めて聞いた。

1993
8月

Smalltalk Agentsに出会った

もともと大好きだった「FORTH」がMacintoshで動く「Mac FORTH」を手に入れていじり出したら、、すぐに「Smalltalk Agents」を知ることになった。販売元のTG情報システム主催の講習会、「個人の方なんですね…」の感想がいたたましい思い出。

1997
2月

Smalltalkイデオム

あの青木淳さんが「Smalltalkイデオム」という本を出すことを知った(Smalltalker’s MLでのご本人の発言からだけど)。直筆サインを入れていただけると言うので、直接ご本人から購入。この書籍からは未だ(2023年)に気付きや納得をもらえることが多い。smalltalkやオブジェクト指向に深く向き合うことができたのは青木さんのおかげに因る所が大きい。ソフトウェア全般やいろいろなモノの道理にも通じる「筏」だ。心の師でもある。

8月

Power Macintosh 6100/60

MacintoshのCPUがMotororaの68k系からPowerPCになった。なのに今までのアプリがそのまま使える仕組みがOSに備わった。この PowerMacintoshの3Dのレイトレーシングがクルクル部屋の中の景色を写し出すのにびっくりした。FM-7は320x200pxに一枚描画するのに一晩かかってた。。

2001
3月

Zaurusで動くsmalltalk

なんとPDAとして売られていたSHARPのZAURUSで、オープンソースのsmalltalk「Squeak」が動く事を知った。いろいろ環境を整えたらちゃんと動いた。びっくり。開発はパソコンでしてZAURUSで動かしてみたり。いい経験になった。

2005
9月

sigmarionでSqueak

あのドコモからでていた「sigmarion」を入手。Windows CEで動く小さなフルキーパソコン(?)。そもそも例によってSqueakが動く、というもんでがんばって入手した。PHSを繋いでインターネットもできる。マクドナルドで使うには目立たず、新幹線でもテーブルだけで充分広いと思えるくらいだった。そこらでちょっとした原稿を書いたり、メールのやり取りしたり、使えて重宝した。

2007
11月

Intel Mac(MacBook 13-inch)導入

CPUがインテルになった。おかげでVMWareでWindowsを動かすのも大変スムーズ。個人向けライセンスが発売になった「Visual Works」を入れてもサクサク動く。いい環境になった。

2018
11月

Mac Pro (Mid 2012)

VMWare ESXiに出会って世界が変わった。この年いろいろ変化があって、Macメインから急にLinuxやらWindowsやらを使うことになった。今まで理屈しか知らなかったインターネットの仕組みも自分で作らざるをえなくなり、開発もVB.Netを始めPython, PHP、、あとSQLもちゃんとソースでやらなきゃならなくなった(これまではビルダーに頼りっぱなし)。ついにはAndroidの開発もすることに決断してしまったので、Kotlinを開発環境からお勉強(KotlinはSmalltalkの経験がモロに役にたった)。

2021
1月

IAサーバでいいのだ

ESXiのおかげで、もはやMacintoshでなくてもよくなってきた。Intel-CPUで動くようになってから、なんとなく感じていたものが現実になった。kunに必要だったり、魅力的だと思えるアプリケーションがMacintoshでなくても動く。UbuntuのデスクトップなどはMacより使い勝手がいい。
ワークステーション「Dell Precision 7810」に買い替えた。

2022
10月

ラックマウントがいいみたい

ラックマウントがいいみたい

Fujitsu PRIMERGY RX2540を導入。
Kotlinはコンパイルしなければ動かないのがどうにも堅苦しい。型に縛られているのも堅苦しい。でもJavaよりはいいようなので今は大変気に入っている。smalltalkでいうところの「あれ」はどうやって実現したらいいの? と毎日調べたり試したり。寄る年波でさっきやろうとしていたことをすぐに忘れてしまうから、コンパイル速度は重要だ。